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2008年2月25日 (月)

昨日より今日、今日より明日。

先週は久し振りに得意の“車”の独り言を書いて嬉しかったので、今週もやはり得意の“食べ物&ワイン編。”

ご覧になった方々も多かろうが、NHKが2月5日に放映した、“プロフェッショナル・仕事の流儀”を見て感動した。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080205/index.html
当日はいつものように飲んだくれて見ることが出来なかったので、DVDに録画しておき、先週の土曜日に初めて見た。
昨年末話題になった、あのミシュランガイドで、三ツ星を取った33歳のフレンチ・レストランのシェフの話であった。
このシェフは、普通のサラリーマンのお家に生まれ、お母さんが料理好きで小さい時から美味しい物を食べさせて貰って、自分も料理に携わりたいと思い、高校を卒業すると同時にレストランに修行に入った。
そして彼は、26歳の時に一念発起してパリに旅立つ。
パンしか食べられない貧乏暮らしをしながら、やっと小さなレストランに見習いで入ることを許される。
料理の腕を買われて、だんだん三ツ星を含めたいいレストランで仕事をするうちに、自分の“師匠”ともいえるべきフランス人・シェフに出会う。
暫くして、その師匠のレストランで魚料理を作ることを許され、自信を持って作ったら、“こんなもの、客には出せない!”と即座にゴミ箱に捨てられた。
それが1週間続いて、“何故だ! 何が悪いのだ? 一体、僕の料理のどこが悪いのかちっとも分からない。”と悩む。
2週間後、再び魚を料理しようとしたら、すっとその師匠が来て、自分で魚を料理した。
そして彼はその魚を食べて、仰天する。
全然味が違う。
師匠が言った。
“料理人はロボットではない。日々、食材の質が違うだろ。肉の厚み。水分の多さ。それを自分で感じて、Routinely.=(お決まりの手順)な仕事はしないんだよ。”
彼は衝撃を受けて、それから週末はパリの青果市場に行って野菜を見、肉屋に見習いで入って肉の見方を磨く。
その後、たちまちその師匠のレストランで頭角を表し、ナンバー2シェフになって、パリでも有名な男となる。
2005年に、彼は悩むことになる。
その師匠と組んで、そのレストランを大きくしていくか、それとも日本に帰国してリスクはあるが、自分がシェフとなってレストランを始めるか?
結局、師匠の反対を押し切って帰国し、2006年にレストランを始める。
そして、2年足らずの間に、“現役で最年少。そして、日本人で初めての三ツ星レストランのシェフ。”になるのである。
この番組の間に、“昨日より今日。今日より明日。”という言葉が、ナレーションと字幕を含めて8回も出て来た。
これは彼が師匠から“料理人はロボットではない。”と言われた時に同時に言われた言葉で、彼が座右の銘としている言葉である。

話は違うが、最近プロ・ゴルファーのTiger Woods.がコマーシャルで、“Yesterday is a history. Today is what matters.”=(昨日のことは過去のこと。大事なのは、今日のことだ。)と言っているが、同じことなんでしょうなあ。
為替だって、同じではないですか。
昨日までのことは、もう終わり。 大事なのは、今日、そして明日からどうするか?

損切りにしろ、利喰いにしろ、一旦ポジションを閉じたら、一度ゆっくり相場を見直したい。
そして、また新たな気持ちで始めたい。

彼は師匠の反対を押し切って帰国して、いつかは師匠に自慢出来る、“日本独特の、自分の代表作ともいえるべき料理を作ろう。”と夢を見ている。
そして、我々日本人が大好きなマグロを使っての料理を試みる。
マグロには、独特の酸味と鉄分が有り、料理をするとこれが消えてしまって、マグロの旨みが無くなり、フレンス料理の間では、“禁断の食材”と言われているのだそうだ。
まあはっきり言って、生の刺身のマグロが旨すぎて、料理をする必要が無いのだそうである。
彼は悩む。
塩とBrown Sugar.で包んでみる。  失敗。
白トリフュで包んでみる。  トリフュが勝ってしまって、失敗。 でも悪くはない。
京都に出掛けて、京野菜の九条葱に出会い、“これだ!”と叫ぶ。
マグロを白トリフュで包み、九条葱に乗せてある日のメニューとして出そうとして準備をしていて、土壇場になってそれを食べて、“つまらん!”と言って、止めてしまう。
あのシーンは迫力がありましたなあ。
彼が言った。
この新しい料理は美味しい。
でも、美味しい物(最高級のトロ)と美味しい物(白トリフュ)を合わせれば、美味しい物が出来るに決まっている。
でも、どこが美味しい生のお刺身のトロと違うのか?
“つまらん!”と言い切って、自分の新作料理をバッサリ切って諦めたのである。
言っておきますが、彼が決してArrogant.=(傲慢)で、やらせでやったのではありませんよ。
それはあの番組を見ていて、彼の目、話し振りを見て確信した。

久々にいい番組を見ました。 感動しました。
一番良かったのは、彼の座右の銘である、“昨日より今日。今日より明日。”と、“プロフェッショナルとは、高いモチベーションを持つこと、そして、それを維持すること。”でありましたな。

塾長も、現役を離れた今ではあるが、常にそれを心掛けたいと思う。

金曜日は、たまたま彼がシェフを勤めるレストランと同系列の二ツ星レストランで、スペイン料理をご馳走になったが、最高に美味でありました。

皆さん、飲んでますか?
塾長は飲んでいますよ。
金曜日は、Cavaと言われるスペインのスパークリング・ワインと、シャルドネを使ったワイン。赤は、勿論Rioja.=(リョーハ)。 美味しかった!

最近ちっとも家に居つかず(あ、いつもの通りか?)外で沢山ワインを飲んでいる。

2月11日、シノワ・銀座店にて。
1979 Corton Bressandes(M.Voaric)
1979 Corton Renardes(M.Gaunoux)
1976 Corton Grancey(L.Latour)
1970 Corton Marechaudes(D.Naudin)
1969 Corton(J.Druhin)
1953 Corton(L-Bichot)

2月16日、DE ROANNEにて。
1966 Pinot d’Alsace Servir Frais(Co.d’ Eguisheim)
1973 Gerro Anon Grand Reserva(Bodegas Olarra)
1969 Meursault Les Charmes(Seguin Manuel)
1983 Rully Clos de Bellecroix(De la Folie/Noel Bouton)
1979 Clos de Vougeot(Jean Olphe-Galliard)

2月20日、シノワ・渋谷店にて。
2004 Gevery Chambertin(C.Dugat)
2004 Morey Saint Denis(Dujac)
2001 Chambolle Musingny Charmes(Ponsot)
2001 Clos de Vougeot(J.Grivot)
2001 Vosne Romanee(B.Dugat-Py)
1986 Nuits Saint Georges(Leroy)

ああ、ワインは楽しいなあ!!

今日は、“浦霞の搾り立て”と“龍神酒造さんの尾瀬の雪どけの搾り立て”との飲み比べ。
日本酒もいいなあ!!

  2週連続で、“得意の話題”の独り言が書けて嬉しい塾長。

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2008年2月18日 (月)

幾つになっても、男の子は.......。

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塾長は、無類の車好きである。
特に速い車が好きだ。
今までに外車は買ったことはなく、国産車ばかり買ってきた。
若い頃はしょっちゅうサーキットに行って、腕を磨いた。
お陰で、ぶつけられたことは何度も有るが、自分から車を人や物にぶつけたことは只の一度も無い。(あ、もとえ。2004年の大晦日に、突然の降雪にあって鶴見のつばさ橋の上で大スピンをして、RX-8を左側壁にぶつけた。)
ぶつけられて何度か死にそうになったこともあるが、その度にサーキットで習った運転技術を使って、危うく難を逃れたこともある。
一番危なかったのは東名高速を走行中に、インターチェンジから入ってきた車に左側面にぶつけられて、中央分離帯に跳ね飛ばされた時であったが、ブレーキを踏まずにアクセル・ワークだけで車を止めることが出来た。
咄嗟のことであったが、車のF.F.=(前輪駆動)、M.R.=(ミッドシップ)、F.R.=(後輪駆動)などの特性を覚えていたので、命拾いをした。
どうして速い車が好きかというと、それは負けず嫌いだからである。
根がディーラーだから、他人に負けたくない。
なるべく他人より速く走りたい。
ここ20年以上、車は2台以上持ち、1台は馬鹿車(スポーツカー)、もう一台は普通の車(4ドア・セダン)を所有してきたが、ご存知のように現在の馬鹿車はニッサン・フェアレディーZ Version NISIMO Type 380 RS。これは、380 RS-Cというレース用の車を街乗り用にディチューン(わざわざ出力を落とす。)した車で、中々面白い。
今週あたりに走行距離が5000キロに達するので、やっと慣らし運転が終わる。
今は、最高回転を5000回転強に抑えているが、これでやっと最高出力が出る7200回転まで回せる。
そして、もう一台の普通の車は究極のエコカーのトヨタ・プリウス。
まあ、現在の国産車の中で最も“お馬鹿さんの車”と、最も“お利口な車”を使い分けていることになる。
実は、もっとお馬鹿さん=(別に本当の意味の馬鹿ではなく、滅茶苦茶速い、という意味である。)な車がある。
ご存知、ニッサン・GT-R。
VR38DETT(TTというのは、ターボ・チャージャーが2基付いていることを示す。)というエンジンを載せ、実に6400回転で最高出力480馬力をたたき出し、最大トルクは5200回転で60.0キロを誇る。
ちなみに塾長の自慢の380 RSは、7200回転で最高出力350馬力と、4800回転で40.5キロの最大トルクを出す。
では、何故負けず嫌いの塾長が出力・トルク共に劣る380RSに甘んじているか?
この理由については以前にもブログに書いたが、この二つの車の“コンセプト”が全く違うからである。
ニッサン・GT-R。
-ターボ・チャージャーを二つも付けて、やっとこさ(?)480馬力を出している。
-一般の市販車で、誰でも買える。
-恐らくオプションを付けると1千万円を超えると思われ、高い!

塾長の380 RS。
-380 RS-Cの500馬力を、コンピューターとインテーク・マニホールドを換えて、わざわざ出力を350馬力に落としている。 余裕である。
-泣いても笑っても300台だけ生産する限定車で、もう無い。
-この性能で650万円くらいならお買い得。

ある車の評論家が、380 RSについて、
* このType 380RSのような完成度の高いコンプリートモデルをニスモが生み出し、しっかり日産が後押しするのは光明でもある。このクルマ、手に入れた人は三国一の幸せ者、である。*
と評論していたが、同感である。

さて、380 RSを買ったニッサンのディーラーから、“2008年にSUPER GTシリーズに参戦するニッサン・GT-Rの競技車両を展示するので見に来ないか?”と誘われた。
“うーん! GT-R ?”
幾つになっても、男の子は男の子。
やはり血が騒ぐ。
やはりレーシングカーは見てみたい。
そして、行って見たがやはり凄い!
恐らく、この車はGT500の開幕戦でいきなり優勝するのではなかろうか?
余り詳しいスペックは分からないが、
-エンジンはVK45DEという4.5リットルのV8で、NA.=(ターボが付かない。)
-最高出力は500馬力で、最高トルクは52キロ。
-タイヤのサイズが面白くて、前輪が330-40R18で、後輪が330-45R17。
何故、前輪の方が扁平率が小さくてサイズが大きいんだ?
普通は逆である。
ちなみに、塾長の380 RSは、前輪が245-40R18で、後輪が275-35R19。

塾長の380 RSも結構迫力があるが、この化け物レーシング・カーと比べると、“只の大人しい車”に見えてしまう。

このGT-R、20日まで展示するそうであるから、見てみたい人は“日産プリンス神奈川、東神奈川店”にいらしたら宜しい。

       久々に得意の話題を書いて嬉しい塾長。

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2008年2月11日 (月)

G7と、トリシェECB総裁。

8年ぶりに東京にてG7(先進7カ国財務省・中央銀行総裁会議)が開催されたが、まあ予想通り(?)、成長が減速している世界経済の現状の認識をし、その危機感は共有したが、具体的な政策協調に踏み込むことは出来なかった。

むしろ、異なる経済事情を抱える日米欧の温度差が浮き彫りになった感がある。

非常に印象深かったのは、会議後の合同記者会見でECBトリシェ総裁が、“中央銀行の責務は物価安定である。”と断言して、恐らく打診があったであろうポールソン米財務長官からの“協調的な利下げ要請。”をきっぱり断ったことである。
G7において、為替での協調介入は過去にも何度か有るが、金融政策での協調は甚だ難しかろう。
今回のG7を終えて、市場がどういう風にその結果を評価するかはよく分からないが、個人的には世界経済減速の引き金となった“サブ・プライム・ローン問題”の解決には“何の役にも立たないだろうな。”と感じる。
余り悲観的になり過ぎるのもよくないが、
-米国の住宅市場の悪化が続き、
-株価の下落が続き、
-米国の雇用や個人消費などの実体経済が悪化し、
当然、ドルの減価が続くと思う。

ところで、モノライン問題はどうなった?
そうか、今のところ誰もこの問題について触れたくないか?
Too bad.

この逸話は以前にもご披露したので、“ああ、その話なら知っている。”という方が多いと思うが、塾長はトリシェ総裁のファンである。
Market oriented.=(市場をよく理解する。)な方で、為替の話もお好きである。
トリシェ氏は、現在のECB総裁になる前は、Banque de France.=(フランス中央銀行)の総裁であったが、2000年と2001年の秋に続けてお会いする機会があった。
塾長は現役の頃、A.C.I.と言う、世界的なディーラーの親睦団体の役員をやっていたが、この両年にA.C.I.が本部を置くパリで会議を開くこととなった。
ユーロの誕生は1999年で、会議が開催された2000年の頃は、対ドルで下げ続けており、1.1900で発足した後、0.8230まで下落した。
その頃の市場でのユーロに対する評価は、“ドイツとフランスの思惑で誕生したユーロがそんなに早く基軸通貨の一端を占めるとは思われない。一つの国のドイツだって東西、そしてフランスやイタリアだって南北で、あれだけ国民性、生産性が違う。
まあ、0.70くらいまで下がるだろうな?“というのが多勢の意見であった。
我々A.C.I.の役員は、夫婦でトリシェ総裁にBanque de Franceのダイニング・ルームに招待されて、大変美味しいフランス料理を頂いたが、その時に役員の一人が(勿論、銀行の為替ディーラー)、“総裁、ユーロ誕生時の1.1900が高過ぎたのではないですか?何処まで下がるんでしょう?”と意地悪な質問をした。
トリシェ総裁は流暢な英語で、“今のユーロは過小評価されている。君達が投機的な売りを止めれば、相当戻すだろう。”と平然としていた。
我々は、猛然とユーロの買戻しに入って、翌年2001年の1月には0.95まで戻した。
このまま、1.00まで戻すかと思いきや、またユーロが猛烈に売られだし、同年夏には再び0.83台まで下落した。
秋に再び、全く同じBanque de Franceのダイニング・ルームに招待され、これまた意地悪な質問を浴びせた。
“総裁、一旦0.95まで戻したユーロが再び売られています。やはり、ユーロはVulnerable.=(脆弱)なのではないですか?”
総裁はまた平然と、“我々Central banker.=(中央銀行員)は、為替相場の短気的な動きなど気にしない。Parity.=(1.00)にまでは戻るとは言わないが、年初に付けた相場(0.96)までは戻って然るべきだと思う。”と言った。
つまり、2001年の秋に、“ユーロは対ドルで1.00までは無理にしても、0.96-0.98まで戻しても不思議ではない。”と時のフランス中央銀行の総裁が言ったのである。

そして、あれよ、あれよという間に昨年11月には1.4966と、危うく1.50の大台に乗り掛けた。

まあ、これはドル安の反動でもあるのだが、さあてこれからどうなるか?

塾長の個人的な意見は何回も言ってきたように、
-(さらなる)ドルの下落が続き、
-(ついに)円が上昇を始め、
-(今までとは遅いペースでの)その他通貨高が続く。

で、その結果はドル・円が一番下落し、クロス・ベースで多少円高になるというものである。

同じことばかり言って、申し訳有りません。

             再び昔を懐かしがっている塾長。

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2008年2月 4日 (月)

ノスタルジア。

最近時々、日々のブログ上で“伝説のディーラー”という本を読んで、面白かった、というお書き込みを目にする。
この本は、1993年に発刊された“東京外為市場25時”の改訂版ということであるが、実はこの“東京外為市場25時”も、1988年に発刊された“8割の男”の改定版である。
もう20年も前に出た本の、改訂版の改訂版ということになるが、中々面白い本で、為替に興味のある人には是非読むようにお薦めする。

これは“北原一輝”という主人公が、ライバルのディーラーと熾烈な勝負を繰り返して、段々東京外為市場で最も優秀な為替ディーラーと呼ばれるようになるまでの、仕事上や家庭上の葛藤を描いたものであるが、凄まじい!
ストーリーには多少の脚色があるが(例えば、主人公が滅茶苦茶女性にもてたり、最後に一敗地に塗れて市場から去って行く、などは嘘である。モデルになった方は塾長の大変親しい友人であるが、そんなに女性にもてたとは思わないし(むしろ塾長と同じように、男性に人気があったのではないかなあ?)、最後に勝負に負けはしなかった。)、登場してくる人物の描写は、正確そのもので、“ああ、これはあいつだ。そして、これはあの人だ。”と、1980年代に東京外為市場で活躍したディーラーが総出演する。
但し、全員匿名で。
かく言う塾長は、“斉藤雅人”なるニック・ネームで登場する。
“東京市場の貴公子”だそうな、わっはっは!
“貴公子”を大辞泉なる辞書で引いてみると、
1 高貴な家柄の男子。貴族の子弟。
2 容貌(ようぼう)・風采(ふうさい)がすぐれ、気品のある青年。
とある。
そうか、塾長も昔は青年だったのか?
今は落ちぶれちゃって、どうしようもないなあ。
まあ、今は“東京市場の元奇行子”というところか。

今週の“独り言”にこの本のことを書こうと思ったのは、昔は現在のような機械を使っての無機質なディーリングではなく、人を介しての極めてウェットなものであったこととか、Quote.の仕方(レートの提示の仕方)が、今とはかなり違う、ということをお教えしようと思ったからである。
先ず、あの頃は銀行同士が“Gentlemen’s Agreement.”=(紳士協定)のような物をお互いに尊重し(別に紙に書いて、お互いに確認するような代物ではない。)、それを遵守しようと頑張る。
例えば、あの頃は銀行同士で、“Direct Deal.”=(直接取引)と言って、電話かロイター・ディーリングでお互いに呼び合い、“Price for 30.”=(3千万ドルのプライスを下さい。)と聞いて、20-23(ニーマル-ニイサン)と出されたプライスを、買うなら“ニイサンで30本Mine.”=(23で3千万ドル買います。)、或いは売るなら、“ニーマルで30本、Yours.”=(20で3千万ドル売ります。)と言って、取り引き成立なら“Done.です。”=(了解です。)と確認する。
3ポイントのSpread.=(売り・買いレートの幅)にするか、5ポイントにするか、或いは2ポイントにするかは、さっきのGentlemen’s Agreement.に大いに関係あり、基本的にはReciprocal Base.=(向こうが何時も3ポイントなら、こちらも3ポイント。何時も5ポイントなら、こちらも5ポイント。)で、もしSpread.を広く出されても、誰も文句は言わない。
次回向こうが呼んできた時に、こちらもSpread.を広げて出せば宜しい。
余りにもえげつないようであれば、こちらからは一切向こうを呼ばないし、こちらが呼ばれた時は、8ポイントくらいで出してやれば、向こうは“あれ、何かあったのかな?”
と反省する。
そういう時代であった。
無理強いをしない。
お互いに助け合う。
経済指標の発表前後は、Liquidity.が無いことを皆知っているから、お互いに呼ばない。
もし呼ばれても、凄く広いSpread.でしか出さない。
それでも取り引きしたければ、先方はそれを打てばいい。
“顧客からの要望で、どうしても30本Price.が欲しい”と言われれば、“30-50、Sorry
wide.”=(サンマル-ゴーマル、値幅が広くてご免ね。)でOK。
気に入らなければ、パスすればいいし、打ちたければ打てばいい。

ここで、先日話題になったPrice.をずらす話をしよう。
現在、経済指標発表前で誰もPrice.を出さないとしよう。
そこに仲良しの銀行がどうしても30本プライスを出してくれ、と来た。
つい30分前までは、160.20-25で取り引きしていたが、今はロイター画面で160.10-30の気配だけ。
さあ、どうする。
先ず、今の自分のポジションはどうか?
何時もの様に(?)ドルをショートしており、これ以上ショートを増やしたくないと考えたら、迷わず160.20-70で出す。
20でGiven.されたら、少なくても自分のドルのショート・ポジションが減るだけで、リスクは増えない。
70でTaken.されたら、ショートがまた増えた。 これが嫌なら、今度は自分が何処かを呼んで、ポジションを減らす(少しドルを買い戻す算段をしなくてはならない。70なら、何とかなりそうである。)

次に、これから相場はどう動くかを自分で考える。
極端な例として今はポジションを持っていないとする。
指標の発表後、ドルは下げるのではないかと思うとする。
迷わず159.80-30で出す。
30でTaken.されたら、Thank you very much. いいドルのショート・ポジションが出来た。
159.80でGiven.されたら、こりゃあ参った。
兎に角、市場にあるBid.=(買い)を総て叩く。
10,05,00,90,85,80.全部売って行かなければいけない。
もしかして、70,60,50と売り続けるかも知れない。
こういう時は、大きな確率で158円以下にまで落ちる。

これは信じられないQuote.だろうが、気配値が160.10-30となっている時に、159.30-80を出す事だってある。
指標の発表前ではこういったQuote.することは少ないかも知れないが、昔はよくあった一日に5円も6円も動く時は、気配値なんて関係無い。
動いている方向にずらさないと、あっと気が付くととんでもない金額のドルを買わされている羽目に陥る。
売ってくる方も必死でありますぞ。
A銀行=“30本プライスお願いします。”
M銀行=“159.80-30.”
A銀行=“80で30本、Yours.です。”
M銀行=“Done.です。”
A銀行=“あと30本のプライスをお願いします。”=(英語ではHow are you left? と言う。)
おう、来た、来た。
M銀行=“159.30-80.”
A銀行=“30で30本Yours.です。”
M銀行=“Done.です。”
結局2つのディールで、159.55で60本=(6千万ドル)買わされたことになる。
こういう取り引きはしょっちゅう。
もたもた、気配値で160.05-30なんて出していたら、どうなると思います?
即死!

あと余談。
そういう訳で、昔はインターバンクでは。銀行間同士のDirect Deal.が主流。
あっと言う間に、数億ドルだって取り引き出来る。

ちょっと憎たらしい銀行を徹底的に叩く、なんていうのはこれもしょっちゅう。
“東京外為市場25時”にも出てきますよね。
どうするか?
さっきの例のように、もしドルが下げ出したら、徹底的に一つの銀行を売り叩く。
こっちも一杯買わされているから、売るドルは沢山有る。
しかも、2円くらい落ちると思っている。
上の会話のA銀行が、今度は塾長の立場。
M銀行がタオルを投げ出したら(パニクッて、ドルの投げ売りを始めたら)、こちらのもの。
途中の159.80,70,60,50.での細かいBid.だけ気にしていたら、気が付いたら159.00まで落ちていますからね。

まあ、昔は迫力がありましたよ。

今は、電子Broking.とやらで、銀行のディーリング・ルームは静かですが、塾長がやっている時は、“おーい、呼べーっ!”と叫んで、ディーラーが一斉に他の銀行を呼んでプライスを取る。
そして、塾長に叫び、塾長がそれに答える。

“20-23.” “20本、Yours!”
“21-24.” “30本、Yours!”
“18-23.” “うーん読まれたか、それは10だけ、Yours!”
“14-18.” “よっしゃあ、下げだしたぞ。20本Yours!”

ああ、血がまた湧き出したなあ。
これは、20年以上も前の光景。

一度、NHKがドキュメンタリーの取材に来て、“その指を数えているのは何ですか?
”と訊かれ、
“指一本が1千万ドルです。
今、8千万ドル売りました。”と言ったら、ひっくり返っていた。
このドキュメンタリー、結構評判良かったですよ。
あの番組を見てディーラーになりたいといってきた学生が何人もいましたなあ。
その内の一人は結局念願の為替ディーラーになり、今でも親交がある。

ちょっと脈絡が無くなってきたが、昔は色々ありました。
別に本の宣伝をする積りはありませんが、チャンスがあれば是非一度、この“伝説のディーラー”という本をお読み下さいませ。

         今日、東京に車で行くかどうか迷っている塾長。

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